四季送り 2025/05/27 Tue 四季送り げんみ❌ 花笑みを踏まえて脳内整理。雲平主体のとこは雲平の呼び方になってます。 まだ整理し切れてないし一部雲平の感情に当てられててどろどろしてます。手直し入ります。全然書き終わってない。閲覧注意。 更新忘れてた 一応書き終えました続きを読む◆シナリオ開始時の雲平の目標◆①純粋な関心として、チトセが何を撮るのかを見たい②自分が約束、宣言してきたことを考えるのに必要な"幸せ"を、写真からアプローチしてとらえたい。チトセを見て手掛かりが欲しい③訊けそうなら"友達・改"の定義を教えてもらいたい 裏背景に絡むんだけど、特に②の"幸せ"が厄介。 本編を経て、雲平にとっての幸せは『日向の夢』→『窓向こうの日向に“あび”が続くのを見ていること』に変化。加えて、自分に"幸せ"を求められることに(願われた場合は、願われてる自分自身に)強烈な嫌悪感を抱く。※事情背景知ってる身内からのは別枠だし、そもそもこれ自分(受け手側)の問題。 他要因たくさんあるのを割愛するくらいには、そもそも「自分を通して"しあわせ"を考えようとする」ことが出来る状態じゃない。肝心の本人は無自覚。それでも「無駄な行いだろうが、考えるくらいは出来る以上、こじつけでも良いからかたちにしなければ」ってことだけは常に頭の中にこびりついている。 それに自分も相手もいつまで猶予(いのち)があるかわからない。「時間を無駄に出来ない、何も出来なくても何かしないと」が強いのが今も続いてる。心の麻酔として機能している面もありますが。 そんなある日、偶然今回のアーケードの話を知ったってのが裏背景です。 「チトセなら」と真っ先に思い浮かべて声を掛けたあたり、「"幸せ"を知ってる人 かつ 願える人」って認識してるんだろうな。◆進展したこと◆ 目標の①は確定で達成するとして、②③も大きく進展したかなと思います。 自分の"幸せ"に対しても、嫌悪感や憎悪はそのままに、"宝物"という形で『手放したくないもの』に気付けたので……まさかここで繋がるとは完全に予想外だったな……。 話を戻して、進展したことを整理すると。①"友達・改"を体感的にも認識できた 雲平:「(僕が含まれることの意義と成果を問い続けていたの、的外れだったらしい)」 と帰宅後ミッフィー面するくらいにはぽんこつしてた雲平です。実際、これまで「仲間」は言えても「友達」とは発言するのを避けていました。 結成時だって無責任に頷いたわけじゃない。この際暴露するとエンディング時点で雲平は「チトセたち帰って来た。錦玉ももうひとりじゃない。やっとスタートラインに送れた」って脱力しかけてたように"仲間"として居座ってる現状の節目になっておかしくないって気持ちでいたんです。それで静かにみんなの様子を眺めてた。なのに、節目どころか"友達"という繋がりに招かれて、そのときの困惑と言ったら! だから、あの時の「面白い」って、皮肉なんです。自分自身への盛大な皮肉。 一方で、「"友達"が"仲間"と同じようなものなら、"友達"としての意義を見出し、果たせるかもしれない。どんなに「滑稽だ身の程弁えてんのか奴らの仇が友情ごっこかよ」と頭の中に嘲笑われても、信じようとしてくれる"仲間"に応えたいと顔を上げるのは、間違いじゃないはずだーーこの時点で意気込みどころを誤ってたんでしょうね。 事実、何も出来なくても何かしようと約束・宣言したこと含めて探し回っている間に、"仲間"と"友達"は違うって感覚が強くなって、今回に至ってますから。錦玉さんに怒られろ。 結論として、あんなに悩み続けていた"友達"に意義も成果も必要なくて、ただ一緒に楽しい・嬉しいなどを共有することを大事に出来れば良かった。それは既に雲平が"あび"の人たちに抱いていることで、とっくに"友達・改"だった。 本人は「そんなことで良かったの!? ずっとあったことなのに!?」とショックなのか安堵なのかわかんない衝撃を受けてましたけどね。良かった。 二次効果として、"友達・改"を認識したことで、素直に受け取れる範囲が広がりました。相手が自分に向ける感情をイメージできたからです。 普段自分が「良かったと思えることの理由になっている」的なことを言われても、自分じゃ誰かの喜びになり得る価値を提供できているとは思えない。釣り合わないから、どう受け取れば良いかわからないんです。 だけど今回は「"友達・改"のチトセと一緒に来れて嬉しかった、楽しかった」がある。雲平がチトセくんを"友達"と深く認識出来たから、チトセくんが「一緒に来れて嬉しかった、楽しかったなら猶更」を体感的に理解出来たのでした。雲平のやつ、自分から記念写真を思いつくくらい、心の底からの嬉しいを感じてましたよ。 今後は、自分に向けられるやわらかな感情に対して素直に受け止めやすくなるんじゃないかな。「良いの。本当に?」なんてワンシンキングを挟む率が減る。②既に手にしているもの とっくに手にしていたもの。ひとつは①ですが、二つ目思いがけず出て来たのが"宝物"でした。 小ネタ設定。雲平のスマホの中に残ってる一番古い写真は、居眠り祝さんの写真。 脳内面談メモを引用すると、以下の通り。身元バレを防ぐために定期的にスマホデータは自室に隠してる記憶媒体に移して保存しているし、連絡帳もカモフラージュしてある夜間学校で「何も無いのも不自然」と感じてからはダミーかつ普段の行動圏内や交友バレ防げる範囲のデータは入ってるそういうのだからこそ、一番古い写真データかつ鍵付きの、祝さんの居眠りの寝顔写真の意味合いが重い リスクを差し置いてでも手元に留めたい"宝物"が、祝さんの平和な寝顔なんですよ。 『写真に撮って残そうとするのは"しあわせ"のとき』と仮定したのは他ならぬ雲平です。 そしてこの"宝物"は、祝さんに真名を渡した頃の子どもが撮った写真です。 祝さんに人間に戻してもらう中、初めて自然な想いで撮りたくて撮った写真を、ずぅっと手元に残して大事にしている。その事実を思い出したなら、無視できることじゃない。幾つかの認識や制限が覆る。「僕にとっての幸せがあってはいけない」とか、ずっと手元にあんじゃん!ってなる。 そこに続いたチトセくんの発言がしみる。「平ちゃん本当は最初から知ってたんじゃん!写真を撮る理由、意味、楽しさ」「平ちゃんってさ、きっと自分が思ってる以上に色々持ってて、考えてるんだろうなって時々思うよ」「無くなんないからさ、そういうの。だからゆっくり考えたらいいよ」 無くならない。無いと思ってるものも、全部ではないかもしれない。「約束や宣言を履行出来ないまま終わるんじゃないか、無責任になるんじゃないか」と恐れていたことが、根拠は無くとも、0スタートじゃない可能性を証明されたことで、焦燥と不安が和らぐのでした。畳む~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~◆シナリオと別に、雲平のベクトル調整◆ 以下、どろどろを含みます!! 見ないと困る情報は無いです。あくまで思考回路や比重の近況を捕捉的に公開している長文です。 メンタル影響しないぜ!と思えなかったらこのままページを閉じてください。続きを読む 前提として、私は雲平の方向性について「負っている罪業や因果の呪いを抱えつつも、ひとりの人間として向けられる愛、善なる願い、祝福を交わせるようになれ」と思ってます。ソロシじゃないからね。 本人も、他の方々からの善意に無関心なわけではない。向けられる優しさ、差し出された手には感謝しているし、無視はしたくないと思っています。 雲平自身の大きな課題のひとつは【自分を許さない】に基づく制約や呪いに縛られ、しかし安易に外す事が出来ないジレンマでしょうか。 例えば今に始まったことじゃないけど、「必要(仕事)だからやる」「蓋を外すな、説明つかないことをするな」が自らに課している行動原理です。 自身に対し「理由が成立しない行動を許せない」のは、すべての始まりである【感情で夫婦を殺した】ことのトラウマに由来するものなので、周囲からしたら「気楽にやれよまどろっこしい!」案件でも、本人にとっては自死を検討するほど重大な一線となる。 以上を踏まえての近況、表に出さないようにしてるつもりのどろどろ内情の一部について。①「消去法で生きている」けど、存在消滅を望むことは無くなった 良いのか悪いのかってとこですけどね!! あと言い方すごく周囲に失礼。ごめん。途中経過だからとなんとか大目に見て欲しい。少なくとも、今の世界を生きるしかないと諦めて、少しでもマシになるように動くことに目が向いています。→よって願いが叶うってなったときの心配が無くなった。 本編以後「存在自体が"過ち"だ」「償いなど無い。【代役の無い、自分の存在消滅】で正す他無い。なのに手段が無い」「矛盾したまま生きながらマシな方を選ぶしかない」という理屈で模索していました。手段さえあれば仲間に無断で消滅を選ぶまであったんです。 けれど、どうやっても誰かが犠牲になると気付いてしまって……。 本編で祝さんが言った通り、雲平が悲願を叶えたところでヨスガは確実に詞さんをアガチにするために殺す。祝さんは天涯孤独のまま仇探しするし、ヨスガの暇潰しの玩具にされて死ぬ未来しか見えない。 ならばヨスガが消えれば良いのか? 雲平は立場上望めない。蟲毒消滅ボタン渡されても、私情挟んでないと言い切れないから押せない。「感情で他人の死や消滅を望んで良いお偉ーい人間様なんざいねぇんだよクソが! 自分や身内消されて文句無ぇ奴だけほざいてろ」(by蓋外れ雲平) 加えて“実行犯ではない”ヨスガを私怨で消したら、実行犯でなくても存在否定に値する罪の対象になり得ると認めることになる。そうなれば、自分たちに仇なす者が現れた時、もしくは人間社会に晒された時、「お前も罪人だから何されても文句言えねえよな」と殺し屋の周辺作業をしている祝さんに飛び火しても異を唱える資格が無い。 雲平にしてみれば、ルート構造的に「祝を人質にとられた」って感覚なので世界構造への怨みは深く……いや、そもそも奉弥自身がやり場のない怒りと憎しみを世界の仕組みに抱いてるんだよな。ここらは追々説明あった方が良いのか、流石に喧しいか?(ちなみにメタ的な話、万が一ヨスガが存在しなかった場合は、杏仁さんもユキちゃん(14番)も存在しなくなるし、閻魔さんも魔女狩りで死ぬはずなので杏仁さんの素体になったコインロッカーベイビーも高確率で死ぬ。生存者は一番多いけどね。谷崎家も詞さんも荒城家(風香ちゃん込み)も生存して、御籤ちゃんも家族と生活出来る。が、少数の犠牲の上に知らんぷりしてのうのうと存続してる世界なんてメタであれ雲平には許せない。どうあがいても絶望。そりゃ雲平も「もういい。疲れた」ってなるのよ)②生きる上で"幸せ"をどう扱うか 生きるしかないなら必要なこと、少しでもマシな方を選ぶ。そう考えた時に必ず直面するのが「悪意によらず、純粋に誰かから自分が幸せであること、繋がりの中に生きることを願われている」という現実。それを無視できる雲平じゃない。愛や優しさ、善性には、誠意をもって応えたいから。 今回の花笑みで、繋がりの中にあることを望まれることを素直に受け取れたのもあり、「許せないのは許せないまま、"あび"たちに願われ望まれていることにはなるべくそのままで受け止められるかもしれない」と思えました。毎度は難しいけど、少しずつ、掌を満開にできるようにグーパー練習しよう。 そんな雲平も、これまで向けられている願いに耳を塞ぐばかりじゃなかった。例えば夜間学校に行きたいと祝さんに切り出したのは花笑みより前です。しかし、切り出すまでにはかなり時間と自問自答を要しました。そんなことばかりです。 一例として、生きるのも幸せも許せない彼が「学校に行きたい」と切り出した経緯はと言うと、1.僕についての祝の願い事には、僕がひとりの人間として思ったことをするのが必要? 必要性や、容認されることかを問う事なく選ぶこと?2.自分が人間としてやりたいことだけを見つめ直したら、「学校に行きたい」という未練があった。しかし、目標も期待する成果物も持たない未練だけでは道理が通らない。3.「散々他者から奪っておいてお前だけ」「今更人間じみた生き方しようなどと虫が良いにもほどがある」 vs 「道具に徹せば、望まない使われ方しても文句を言えない。今は錦玉が所有者でも、その次は不透明」「人間じゃないと約束・宣言の履行が永遠に進まない」 →結論、必要なことなら、人間の真似事でも良いからやるべきだ。それが幸せにあたることでも、例外的に容認されるはずだ。4.自分本位、自己満足のためではないと示す理由付けが必要。 これは償いじゃない。僕の幸せのためでもない。"前の子"のやり残しがたまたま必要なことと噛み合っていただけ。祝さんに相談を切り出す最後の一押しは偶然の一致から。 間違っても私情を混ぜることの無いよう、祝さん、"あび"の面々の順に意見を求めた。 メタ的には必要だから夜間学校を志したわけではない、これがとびきり重要で、他人の思惑を受けることなく、自分の人生の通過点を自分の意思だけで選択する、人間として当たり前な経験を得ないと、二度と人間としての幸せを得る最初で最後のチャンスを永遠に失うことになる。本人はそこまで明文化しないけど、順序を違えた途端何かが不可逆な潰え方をする予感はあるので、履き違えないように意識してます。 実際、夜間学校通うって決めてからは、選択して実行出来てること自体を実績として縋ってるし。 〇〇伺い書作成して、課内決裁(自分)、役員決裁(祝さん及び"あび")までもらってからようやく〇〇行為書を作成、申請! みたいなことが日夜起きているんですね。 グダグダうじうじしてるように見えてそうで私は気掛かりなんだけど、底なし沼に足が沈み切る前に一歩進ませようとはしているのです、この機会に言い訳させてくれ!!!!!③祝さんの言う“奉弥を裏社会に引き戻した責任” 本編の通り、雲平は祝さんが抱く責任の念について「どの道こうなった」と庇いたい気持ちがある。 だけど本編後幾つか継続もしてた中で、「それは、僕が嫌なことだな」って思い当たって。罪でも責任でも、抱えてきたものを後から庇われたり取り上げられるのは、過程にあった痛みを無駄なことだと軽んじるみたいじゃないか? 「僕の仕事のせいで祝や錦玉、荒城父子が罪を負うている。罪も痛みも僕に流せば良いのに。人間社会様なら許す(手を緩める)だろうに」と思うけど、彼らはそんなことしないとも思う。だったら、呪詛の掃溜めとして待つんじゃなくて、自分が発端で彼らが選択決定して抱えたものをどう見るかに目線をシフトさせるべきではないか? そんなこんなで、まずは正面から明かしてくれた祝さんが感じてる責任に対して、どのように受け止め向き合うか考える時が来てるのかもしれませんね。 良い変化として、継続の中で「『どうあっても生きてしまえる』のが身勝手100%なのではなく、“生き残る"本能が生物として自分にも備わっている結果だった」と幾分か呵責が和らぐ余地が生じました。そういうの増やして、生きるコンディションを整えたいですね。見えるもの、増やすためにも。メモ用紙 “友達”という不安定なのに大事な関係性を理解出来ず、調べるほど違和感を増していた。 “友達”について、無意識に『日向の人間の繋がり方』に区分してたことを自覚してからチトセくんの答えを聞けたのは良かった。◆関係の区分の定義付け “仲間”=同じ目的をもって取り組み達成しようとする繋がり “友達”=目的に依らず、一緒に楽しいことをする繋がり “友達・改”=一般の“友達”に納まらない“あび”独自の繋がり。“仲間”と“友達”の掛け持ち状態を示すのにも使える※関係に名前は必須ではないらしい →そう言ってもらったものの、雲平が説明がつかないことに不安を覚えてしまうため、“友達・改”を適用した ただし“仲間”も“友達”も重複して良いものである(※)償い、幸せ 大前提:KP・PL及びPC・NPCたちからの"償い""幸せ"といったワードは雲平の背景を理解した上でのものなので別枠だと思ってください!! 配慮してほしい、って目的で書き添えてるんじゃなくて、そういうシーンがあるとRPに時間かかったり、本心と相反した言動をして意図せぬ誤解、傷つけを招くこと危惧しているので、事前弁明です。 雲平が自分自身を許せないことも一因ですが、「償えるわけもないのに償いを求められること、償いを理由に人間社会に搾取されること」「(道徳の授業的な意味での)人は幸せになるために生まれて来た、幸せになって良いと言った無責任な幸福論」をものすごく憎んでて、それだけに特定のワードに対して処理が大きくなります。 奉弥としても雲平としても、自分が罪業の行き止まりであることを認識し、呪詛の掃溜りになるのを受け入れているわけですが、その根幹は【自分の幸せも未来も何もかもを奪った犯人が自分である=誰も埋め合わせしないし復讐相手は自分自身】ってどん詰まりにある現実なんです。 他の人に憎まれ呪われ侮蔑され死んでも貶められることは仕方ないこと、覚悟していることとは言え、「だからって自分自身を許してない僕からも僕を殺す権利を奪ってくれるな」とすら過ることがある。HO秋として言い方すごい身勝手なんですけど、「被害者として、加害者として、その両方に挟まれてる自分の3種の感情が壺の中でぐちゃぐちゃに混ざって腐敗して可燃ガス発生してるから、着火したら爆発しそう」って表現がしっくりくる。マジで地雷原パンジャンドラムになっててすまない自陣。 故に、脳内面談で見た限り、以下のようなシチュがあると時間がかかったり暴走する可能性があります……。・自分自身のクローンと対峙する(大祓の比じゃないくらい痛めつけて殺したいし蓋がぶっ飛んで感情も呪詛も爆発しそう)・宗教家などの説法で"幸福"を説かれたり"罪と罰"を語られる(こっそり出てトイレで吐くし暴力衝動衝動と戦うハメになる)・テレビニュースでコメンテーターたちが一方的に誰かを糾弾している/悲劇や苦悩を消費するような内容を逃げ場無く見せられる(ひたすら自分に蓋する圧を強めて耐えるし表に出さないように努めるが、予後が極めて悪そう)畳む#四季送り #思考整理
花笑みを踏まえて脳内整理。雲平主体のとこは雲平の呼び方になってます。
まだ整理し切れてないし一部雲平の感情に当てられててどろどろしてます。
手直し入ります。全然書き終わってない。閲覧注意。更新忘れてた 一応書き終えました◆シナリオ開始時の雲平の目標◆
①純粋な関心として、チトセが何を撮るのかを見たい
②自分が約束、宣言してきたことを考えるのに必要な"幸せ"を、写真からアプローチしてとらえたい。チトセを見て手掛かりが欲しい
③訊けそうなら"友達・改"の定義を教えてもらいたい
裏背景に絡むんだけど、特に②の"幸せ"が厄介。
本編を経て、雲平にとっての幸せは『日向の夢』→『窓向こうの日向に“あび”が続くのを見ていること』に変化。加えて、自分に"幸せ"を求められることに(願われた場合は、願われてる自分自身に)強烈な嫌悪感を抱く。
※事情背景知ってる身内からのは別枠だし、そもそもこれ自分(受け手側)の問題。
他要因たくさんあるのを割愛するくらいには、そもそも「自分を通して"しあわせ"を考えようとする」ことが出来る状態じゃない。肝心の本人は無自覚。それでも「無駄な行いだろうが、考えるくらいは出来る以上、こじつけでも良いからかたちにしなければ」ってことだけは常に頭の中にこびりついている。
それに自分も相手もいつまで猶予があるかわからない。「時間を無駄に出来ない、何も出来なくても何かしないと」が強いのが今も続いてる。心の麻酔として機能している面もありますが。
そんなある日、偶然今回のアーケードの話を知ったってのが裏背景です。
「チトセなら」と真っ先に思い浮かべて声を掛けたあたり、「"幸せ"を知ってる人 かつ 願える人」って認識してるんだろうな。
◆進展したこと◆
目標の①は確定で達成するとして、②③も大きく進展したかなと思います。
自分の"幸せ"に対しても、嫌悪感や憎悪はそのままに、"宝物"という形で『手放したくないもの』に気付けたので……まさかここで繋がるとは完全に予想外だったな……。
話を戻して、進展したことを整理すると。
①"友達・改"を体感的にも認識できた
雲平:「(僕が含まれることの意義と成果を問い続けていたの、的外れだったらしい)」
と帰宅後ミッフィー面するくらいにはぽんこつしてた雲平です。実際、これまで「仲間」は言えても「友達」とは発言するのを避けていました。
結成時だって無責任に頷いたわけじゃない。この際暴露するとエンディング時点で雲平は「チトセたち帰って来た。錦玉ももうひとりじゃない。やっとスタートラインに送れた」って脱力しかけてたように"仲間"として居座ってる現状の節目になっておかしくないって気持ちでいたんです。それで静かにみんなの様子を眺めてた。なのに、節目どころか"友達"という繋がりに招かれて、そのときの困惑と言ったら!
だから、あの時の「面白い」って、皮肉なんです。自分自身への盛大な皮肉。
一方で、「"友達"が"仲間"と同じようなものなら、"友達"としての意義を見出し、果たせるかもしれない。どんなに「滑稽だ身の程弁えてんのか奴らの仇が友情ごっこかよ」と頭の中に嘲笑われても、信じようとしてくれる"仲間"に応えたいと顔を上げるのは、間違いじゃないはずだーーこの時点で意気込みどころを誤ってたんでしょうね。
事実、何も出来なくても何かしようと約束・宣言したこと含めて探し回っている間に、"仲間"と"友達"は違うって感覚が強くなって、今回に至ってますから。
錦玉さんに怒られろ。結論として、あんなに悩み続けていた"友達"に意義も成果も必要なくて、ただ一緒に楽しい・嬉しいなどを共有することを大事に出来れば良かった。それは既に雲平が"あび"の人たちに抱いていることで、とっくに"友達・改"だった。
本人は「そんなことで良かったの!? ずっとあったことなのに!?」とショックなのか安堵なのかわかんない衝撃を受けてましたけどね。良かった。
二次効果として、"友達・改"を認識したことで、素直に受け取れる範囲が広がりました。相手が自分に向ける感情をイメージできたからです。
普段自分が「良かったと思えることの理由になっている」的なことを言われても、自分じゃ誰かの喜びになり得る価値を提供できているとは思えない。釣り合わないから、どう受け取れば良いかわからないんです。
だけど今回は「"友達・改"のチトセと一緒に来れて嬉しかった、楽しかった」がある。雲平がチトセくんを"友達"と深く認識出来たから、チトセくんが「一緒に来れて嬉しかった、楽しかったなら猶更」を体感的に理解出来たのでした。雲平のやつ、自分から記念写真を思いつくくらい、心の底からの嬉しいを感じてましたよ。
今後は、自分に向けられるやわらかな感情に対して素直に受け止めやすくなるんじゃないかな。「良いの。本当に?」なんてワンシンキングを挟む率が減る。
②既に手にしているもの
とっくに手にしていたもの。ひとつは①ですが、二つ目思いがけず出て来たのが"宝物"でした。
小ネタ設定。雲平のスマホの中に残ってる一番古い写真は、居眠り祝さんの写真。
脳内面談メモを引用すると、以下の通り。
リスクを差し置いてでも手元に留めたい"宝物"が、祝さんの平和な寝顔なんですよ。
『写真に撮って残そうとするのは"しあわせ"のとき』と仮定したのは他ならぬ雲平です。
そしてこの"宝物"は、祝さんに真名を渡した頃の子どもが撮った写真です。
祝さんに人間に戻してもらう中、初めて自然な想いで撮りたくて撮った写真を、ずぅっと手元に残して大事にしている。その事実を思い出したなら、無視できることじゃない。幾つかの認識や制限が覆る。「僕にとっての幸せがあってはいけない」とか、ずっと手元にあんじゃん!ってなる。
そこに続いたチトセくんの発言がしみる。
「平ちゃん本当は最初から知ってたんじゃん!写真を撮る理由、意味、楽しさ」
「平ちゃんってさ、きっと自分が思ってる以上に色々持ってて、考えてるんだろうなって時々思うよ」
「無くなんないからさ、そういうの。だからゆっくり考えたらいいよ」
無くならない。無いと思ってるものも、全部ではないかもしれない。「約束や宣言を履行出来ないまま終わるんじゃないか、無責任になるんじゃないか」と恐れていたことが、根拠は無くとも、0スタートじゃない可能性を証明されたことで、焦燥と不安が和らぐのでした。畳む
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆シナリオと別に、雲平のベクトル調整◆
以下、どろどろを含みます!!
見ないと困る情報は無いです。あくまで思考回路や比重の近況を捕捉的に公開している長文です。
メンタル影響しないぜ!と思えなかったらこのままページを閉じてください。
前提として、私は雲平の方向性について「負っている罪業や因果の呪いを抱えつつも、ひとりの人間として向けられる愛、善なる願い、祝福を交わせるようになれ」と思ってます。ソロシじゃないからね。
本人も、他の方々からの善意に無関心なわけではない。向けられる優しさ、差し出された手には感謝しているし、無視はしたくないと思っています。
雲平自身の大きな課題のひとつは【自分を許さない】に基づく制約や呪いに縛られ、しかし安易に外す事が出来ないジレンマでしょうか。
例えば今に始まったことじゃないけど、「必要(仕事)だからやる」「蓋を外すな、説明つかないことをするな」が自らに課している行動原理です。
自身に対し「理由が成立しない行動を許せない」のは、すべての始まりである【感情で夫婦を殺した】ことのトラウマに由来するものなので、周囲からしたら「気楽にやれよまどろっこしい!」案件でも、本人にとっては自死を検討するほど重大な一線となる。
以上を踏まえての近況、表に出さないようにしてるつもりのどろどろ内情の一部について。
①「消去法で生きている」けど、存在消滅を望むことは無くなった
良いのか悪いのかってとこですけどね!! あと言い方すごく周囲に失礼。ごめん。途中経過だからとなんとか大目に見て欲しい。少なくとも、今の世界を生きるしかないと諦めて、少しでもマシになるように動くことに目が向いています。→よって願いが叶うってなったときの心配が無くなった。
本編以後「存在自体が"過ち"だ」「償いなど無い。【代役の無い、自分の存在消滅】で正す他無い。なのに手段が無い」「矛盾したまま生きながらマシな方を選ぶしかない」という理屈で模索していました。手段さえあれば仲間に無断で消滅を選ぶまであったんです。
けれど、どうやっても誰かが犠牲になると気付いてしまって……。
本編で祝さんが言った通り、雲平が悲願を叶えたところでヨスガは確実に詞さんをアガチにするために殺す。祝さんは天涯孤独のまま仇探しするし、ヨスガの暇潰しの玩具にされて死ぬ未来しか見えない。
ならばヨスガが消えれば良いのか? 雲平は立場上望めない。蟲毒消滅ボタン渡されても、私情挟んでないと言い切れないから押せない。「感情で他人の死や消滅を望んで良いお偉ーい人間様なんざいねぇんだよクソが! 自分や身内消されて文句無ぇ奴だけほざいてろ」(by蓋外れ雲平)
加えて“実行犯ではない”ヨスガを私怨で消したら、実行犯でなくても存在否定に値する罪の対象になり得ると認めることになる。そうなれば、自分たちに仇なす者が現れた時、もしくは人間社会に晒された時、「お前も罪人だから何されても文句言えねえよな」と殺し屋の周辺作業をしている祝さんに飛び火しても異を唱える資格が無い。
雲平にしてみれば、ルート構造的に「祝を人質にとられた」って感覚なので世界構造への怨みは深く……いや、そもそも奉弥自身がやり場のない怒りと憎しみを世界の仕組みに抱いてるんだよな。ここらは追々説明あった方が良いのか、流石に喧しいか?
(ちなみにメタ的な話、万が一ヨスガが存在しなかった場合は、杏仁さんもユキちゃん(14番)も存在しなくなるし、閻魔さんも魔女狩りで死ぬはずなので杏仁さんの素体になったコインロッカーベイビーも高確率で死ぬ。生存者は一番多いけどね。谷崎家も詞さんも荒城家(風香ちゃん込み)も生存して、御籤ちゃんも家族と生活出来る。が、少数の犠牲の上に知らんぷりしてのうのうと存続してる世界なんてメタであれ雲平には許せない。どうあがいても絶望。そりゃ雲平も「もういい。疲れた」ってなるのよ)
②生きる上で"幸せ"をどう扱うか
生きるしかないなら必要なこと、少しでもマシな方を選ぶ。そう考えた時に必ず直面するのが「悪意によらず、純粋に誰かから自分が幸せであること、繋がりの中に生きることを願われている」という現実。それを無視できる雲平じゃない。愛や優しさ、善性には、誠意をもって応えたいから。
今回の花笑みで、繋がりの中にあることを望まれることを素直に受け取れたのもあり、「許せないのは許せないまま、"あび"たちに願われ望まれていることにはなるべくそのままで受け止められるかもしれない」と思えました。毎度は難しいけど、少しずつ、掌を満開にできるようにグーパー練習しよう。
そんな雲平も、これまで向けられている願いに耳を塞ぐばかりじゃなかった。例えば夜間学校に行きたいと祝さんに切り出したのは花笑みより前です。しかし、切り出すまでにはかなり時間と自問自答を要しました。そんなことばかりです。
一例として、生きるのも幸せも許せない彼が「学校に行きたい」と切り出した経緯はと言うと、
メタ的には必要だから夜間学校を志したわけではない、これがとびきり重要で、他人の思惑を受けることなく、自分の人生の通過点を自分の意思だけで選択する、人間として当たり前な経験を得ないと、二度と人間としての幸せを得る最初で最後のチャンスを永遠に失うことになる。本人はそこまで明文化しないけど、順序を違えた途端何かが不可逆な潰え方をする予感はあるので、履き違えないように意識してます。
実際、夜間学校通うって決めてからは、選択して実行出来てること自体を実績として縋ってるし。
〇〇伺い書作成して、課内決裁(自分)、役員決裁(祝さん及び"あび")までもらってからようやく〇〇行為書を作成、申請! みたいなことが日夜起きているんですね。
グダグダうじうじしてるように見えてそうで私は気掛かりなんだけど、底なし沼に足が沈み切る前に一歩進ませようとはしているのです、この機会に言い訳させてくれ!!!!!
③祝さんの言う“奉弥を裏社会に引き戻した責任”
本編の通り、雲平は祝さんが抱く責任の念について「どの道こうなった」と庇いたい気持ちがある。
だけど本編後幾つか継続もしてた中で、「それは、僕が嫌なことだな」って思い当たって。罪でも責任でも、抱えてきたものを後から庇われたり取り上げられるのは、過程にあった痛みを無駄なことだと軽んじるみたいじゃないか?
「僕の仕事のせいで祝や錦玉、荒城父子が罪を負うている。罪も痛みも僕に流せば良いのに。人間社会様なら許す(手を緩める)だろうに」と思うけど、彼らはそんなことしないとも思う。だったら、呪詛の掃溜めとして待つんじゃなくて、自分が発端で彼らが選択決定して抱えたものをどう見るかに目線をシフトさせるべきではないか?
そんなこんなで、まずは正面から明かしてくれた祝さんが感じてる責任に対して、どのように受け止め向き合うか考える時が来てるのかもしれませんね。
良い変化として、継続の中で「『どうあっても生きてしまえる』のが身勝手100%なのではなく、“生き残る"本能が生物として自分にも備わっている結果だった」と幾分か呵責が和らぐ余地が生じました。そういうの増やして、生きるコンディションを整えたいですね。見えるもの、増やすためにも。
メモ用紙
“友達”という不安定なのに大事な関係性を理解出来ず、調べるほど違和感を増していた。
“友達”について、無意識に『日向の人間の繋がり方』に区分してたことを自覚してからチトセくんの答えを聞けたのは良かった。
◆関係の区分の定義付け
“仲間”=同じ目的をもって取り組み達成しようとする繋がり
“友達”=目的に依らず、一緒に楽しいことをする繋がり
“友達・改”=一般の“友達”に納まらない“あび”独自の繋がり。“仲間”と“友達”の掛け持ち状態を示すのにも使える
※関係に名前は必須ではないらしい
→そう言ってもらったものの、雲平が説明がつかないことに不安を覚えてしまうため、“友達・改”を適用した
ただし“仲間”も“友達”も重複して良いものである
(※)償い、幸せ
大前提:KP・PL及びPC・NPCたちからの"償い""幸せ"といったワードは雲平の背景を理解した上でのものなので別枠だと思ってください!!
配慮してほしい、って目的で書き添えてるんじゃなくて、そういうシーンがあるとRPに時間かかったり、本心と相反した言動をして意図せぬ誤解、傷つけを招くこと危惧しているので、事前弁明です。
雲平が自分自身を許せないことも一因ですが、「償えるわけもないのに償いを求められること、償いを理由に人間社会に搾取されること」「(道徳の授業的な意味での)人は幸せになるために生まれて来た、幸せになって良いと言った無責任な幸福論」をものすごく憎んでて、それだけに特定のワードに対して処理が大きくなります。
奉弥としても雲平としても、自分が罪業の行き止まりであることを認識し、呪詛の掃溜りになるのを受け入れているわけですが、その根幹は【自分の幸せも未来も何もかもを奪った犯人が自分である=誰も埋め合わせしないし復讐相手は自分自身】ってどん詰まりにある現実なんです。
他の人に憎まれ呪われ侮蔑され死んでも貶められることは仕方ないこと、覚悟していることとは言え、「だからって自分自身を許してない僕からも僕を殺す権利を奪ってくれるな」とすら過ることがある。HO秋として言い方すごい身勝手なんですけど、「被害者として、加害者として、その両方に挟まれてる自分の3種の感情が壺の中でぐちゃぐちゃに混ざって腐敗して可燃ガス発生してるから、着火したら爆発しそう」って表現がしっくりくる。マジで地雷原パンジャンドラムになっててすまない自陣。
故に、脳内面談で見た限り、以下のようなシチュがあると時間がかかったり暴走する可能性があります……。
・自分自身のクローンと対峙する(大祓の比じゃないくらい痛めつけて殺したいし蓋がぶっ飛んで感情も呪詛も爆発しそう)
・宗教家などの説法で"幸福"を説かれたり"罪と罰"を語られる(こっそり出てトイレで吐くし暴力衝動衝動と戦うハメになる)
・テレビニュースでコメンテーターたちが一方的に誰かを糾弾している/悲劇や苦悩を消費するような内容を逃げ場無く見せられる(ひたすら自分に蓋する圧を強めて耐えるし表に出さないように努めるが、予後が極めて悪そう)
畳む
#四季送り #思考整理