No.239

四季送り げんみ❌
 殺し屋であればついて回るのが償いとかの話になるのだけど、雲平は「償わない」「償いようが無いこと、取り返しがつかないことくらい8歳児でもわかる」としています。
 なので償いを求められることへの嫌悪感が強いし軽蔑すら覚える。命を等価に見做すことは、彼にとって命の値踏みをしないことであり、彼に出来る最大限の誠意でもある。それでもと言うなら、じゃあ世間様は償えることとは何だと言うのか、お前たちは自分を愛し育てた家族を殺してショックで記憶を飛ばすほど追い詰められた子どもたちに何をした、お前たちならどうしたとーーでもそんなのお前たちにも仕事された人たちも知ったこっちゃないと正論を展開するのだろうね……と、まあ、被害者や遺族には逃避や責任転嫁してるように見えても仕方ないことですね。

 雲平自身、連鎖を遡れば自分で行き止まりなのを承知しています。だから世間様に反論を口走っても、「僕は悪くない」と自らの非を正当化することはありません。仕方ない、と淡々と事実を認めるのみです。
※もっと突き詰める余地はあるけど底無しのどろどろなので割愛

 今回の主題は、雲平が償いを求めないし負う気が無いこと、しかし自分のような存在、知っている苦悶の中にあると感じているものに心を割く点。
 祝さんとの約束を来世で果たしたら、もう転生しないし、天国も地獄も生温いと唾棄して、自分が信じる世界の底の汚泥(末路わぬものども)に沈み溶けるつもりでいます。
 雲平の世界観は【空白の航海】にて触れてるので、省略します。ただ、名前や自我の境界も溶け消える中、「どこにも届かない苦悶」を抱える末路わぬものどもに、「その苦しみ、寂しさを知ってるのが、ここにいるよ。届いてるよ」と対象になることで、雲平が知る最大の苦悶を和らげ、束の間であっても休めるように自分の残骸を使い切りたい。
 彼が向かおうとしているのは、罰でも償いでも救済でもない終わり方。存在の使い潰しなわけでして。

 『自分の存在や魂は使い潰してでも痕跡を残さず消し去りたい』としながら、祝さんとの約束は来世まで持ち越そうとしてること。
 そりゃもし地獄に行くことになっても「生前と変わらず、違う地獄を共に歩いてくれますか」と雲平が願う相手だもの。

 仕事でもないのに自分と同じ轍を、同じ苦しみを辿らせたくない。その信念が、彼の向かう先を定めているのかもしれません。
 そんな彼は決して優しくないです。これを優しいと言っちゃいけないと思います。世界が優しくしなかった人っころひとりに対し、その他大勢の立場から優しいと評価するなど何事かって感じだし。
 末路わぬものどもを世間様が追い出したり切り捨てたり排泄した呪詛ごと穢され忘れ去られたものたちとする以上、その反響に寄り添う姿勢を優しいと形容するのは、世間様に代わって都合良く向き合っているものへの評価のように感じられると言いますか。伝わるかなぁ。
 そりゃ、人間個人単位では彼らに直接関係しないけど、その存在を認識している以上無関係でもないんです。……具体例上げ出すと話脱線するのでやめておこうね。

 雲平の世界観が正だとは言わない。彼が生み出した都合の良い信仰と言えるのかもしれない。
 それでも、雲平は世界の底に沈み、溶けて、消えようとする。自分も末路わぬものどもの一部になるのだと考えて、だけど自棄と言い切るには幼い祈りみたいなもの。
 日向からすれば穢れで、侮蔑すべき対象、非難すべき脅威の数々、あるいは大衆娯楽の題材になり得る悲劇惨劇の類。そんな末路わぬものどもを、沈みに合わせて日向へと巻き上げたり、まとわり付くものに「だいじょうぶだよ、きこえてるよ、とどいてるよ」と受け止めて永遠に反響するものを休ませてあげたいだけ。
 眠くて乱文になってるかも。ここまでー。
畳む

#四季送り #呟き