No.137

 TRPGで、探索者同士で関係していく中でよくある『一緒に居ることとは何か』ということについて考察してみただけの話。
 友愛、恋愛、家族愛、色んな理由で『一緒に居たい』と思う。思うだけなら簡単。でも、例えば探索者らしく心が壊れたキャラクターだとそんな生半可な覚悟じゃ出来ないよなってね。

 心が壊れた人間と共に生きることって、双方にとって大きな負担になるんです。
 血縁であろうが別個体ですもの。愛だけでなんとかなるなら、介護放棄なんて起きないんです。
 善意で、心を尽くして患者に寄り添ったって、壊れてしまった心では、やわらかなそよ風にすら痛みを覚えるし、陽射しのぬくもりに焼け爛れてしまう。何より厄介なことは、壊れた心は、完全には元通りにはならない、ということ。
 繰り返し表面化しづらい傷つけ合いをしながら、少しずつ瘡蓋を厚くして、触れ合えるようになっていく。瘡蓋を作った当人たちだからこそ、どうしたら破けてしまうかだって何となくわかるのでしょう。手探りで手当をしながら、生きていくための瘡蓋を増やし、厚みをつけていく、果ての無い作業が本質なのではないでしょうか。

 『一緒に居る』という覚悟は、互いに傷つけ合うことを念頭にしながら、一緒に歩み続ける覚悟です。
 間違っちゃいけないのは、そこに相互理解は必要無いってこと。理解し切らなきゃ成り立たない関係を目指すと、相手の感じ方を踏み均して呑み込ませてしまうことになり関係性の破綻を招きます。
 必要なのは、何度間違えても、失敗しても、相手を信じ、互いの帰る場所になるという覚悟。そのベースとなる「この人なら大丈夫。この人が良い、この人が大事なのだ」と委ね合える、深い信頼による関係性なんじゃないかな……と思うけど創作色が強い見解かしら!畳む

#日常 #呟き #思考整理