NOTEBOOK

No.140

自探索者などの壁打ち・脳内雑談メモ、日記などです

四季送り げんみ❌
 脳内面談しながら、改めて
雲平「僕、邪魔にならない? それに、祝を、危険にしない?」
祝 「……奉弥。俺は、君を邪魔に思ったことなんて、一度もないよ。むしろ……巻き込んだのは俺かもしれない……」
のやりとり、大きいなって。

 自分が存在しなければ、祝はもっと酷い末路を辿った。でも、自分が存在したから出会うことになった(引き合わせられた)。
 雲平としては是非を問いきれない因果に煮やされる心地なのだけど、見つめ直してみれば、『祝さんは、雲平が何であるかに依らず存在を許容し望んでいてくれる』こと自体は、その因果の外にあるんだよね。
 祝さん視点、子どもと出会い、拾い育ててたところまでは雲平が何者かは無関係。なおかつ、子どもと出会えたから未来に繋がった可能性がある。仇だと知ってからも、彼を憎んだり疎んだことは無かった。寧ろ隠し続けたことや、殺しの道に戻してしまった(雲平本人は、戻された感覚すら無かったと思うけど)と罪悪感を抱いていた。

 雲平が存在したから祝さんの今がある。祝さんが雲平を何者であるかに左右されることなく弟として愛してくれた、出会いから今に至るまでのトータルでの事実があればこそ、雲平は消えずにいられる。
 消えない=置き場が必要だけど、それすら祝さんのもとだし、祝さんの支えも雲平である(雲平が死んだら衰弱死するかも、との詞さんの言葉に頼れば)。
 そりゃ詞さんが死なない世界が一番幸せなのだけど、雲平の存在は分岐の一つであって決定打ではない。決定打じゃないことを重く取れば素直に受け取りやすいかも。
 だって、例えば今一緒に生きてる祝さんが『奉弥じゃなくて詞と一緒に生きていたかった』
と言うわけない。
 根拠? 詞さんの最期のシーンで祝さんが言ってた、
「来世は雲平と兄弟になって会いに行く」
 3人で笑える世界を望んで、それを今生ではなく来世に託してるって、そういうことかなって。

 邪魔だと思ったことは一度も無いって言ってくれた、偽りも誤魔化しも無い言葉だったと信じられるやりとり。あの数秒間が、ふと何処にも存在出来なくなるような虚無感に塗りつぶされて消えた心地になったときに、寄る辺になることがある。思い出せた時、両腕で受け止めてもらえたような心地がする。
 魂の行き場は祝さんなんだろうな、って再認識した。畳む


追記:
 こんな感じでさ、少しずつ、“理屈立てての存在手法”から“確信を持っての存在手法”へと切り替えていけると良いなって。
 現状、雲平は「消去法で一番マシな世界を生きている/存在自体が過ちだ/生きてしまうのなら少しでもマシな方を」で生存を肯定している。理屈が無いと立ってられないほどの不安定さ。摩耗するのも違反料/存在税として仕方ないものだとしている。
 だけど、今回の理論なら【僕が祝に愛されていることは過ちじゃない】と言えるのよ。「祝が僕の幸せを願うから、叶える方法考えなきゃ、実現努力しなきゃ。来世を願うから、魂は来世までは保たなきゃ」なんかより、ずっっっと強い存在定義だと思う。
 受け取って良いこととして確信を持てれば、どんなに存在否定したって、祝さんのところには帰って来れるんじゃないかな。あー、ようやく「僕は祝に愛されても良い。この幸いを幸せとして生きて良いんだ」と思える糸口が見えた気がした。畳む


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